映画の右側

映画のあれこれ

イングマール・ベルイマン 『冬の光』

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人生に意味はあるのか。

そこに差す光は何か。

みなさんこんばんは。 右側です。

もう春なのに、 季節感のない記事ですみません…。

イングマール・ベルイマン監督の『冬の光 』(1963年)を見ました。 とても難解ですが、惹きつけられる映画でした。

これは、ベルイマン監督の『沈黙 』、『鏡の中にある如く 』と並んで、 「神の沈黙」 三部作の一つと言われています。 作品の中にも、「神の沈黙」という言葉が沢山出てきましたね。

これらの記事ものっそり書いていこうと思うので、 ご覧いただければ幸いです。

ベルイマン監督について】

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イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman)は、 1914年、スウェーデン生まれの映画監督です。

50年代なかばに、フランスのヌーベルバーグの作家たちがスタジオを飛び出し、 自然光撮影を敢行したことはよく知られていますが、

実はベルイマン監督も、かなり早い段階(51~53年くらい)から 屋外での自由な撮影を行っていた映画人の一人でした。

これが「カイエ・デュ・シネマ」紙で高く評価され、 その地位は不動のものとなりました。

60年台は映画史における激動の時代です。

フランスではスタジオや台本を放棄したヌーベルバーグが興り、 アメリカではニューアメリカンシネマが台頭してきます。 学生運動とシネマクラブの隆盛があいまって誕生したシネマ・ノーヴォもこの時代ですね。 映画が社会に対して革命的な役割を果たしていた例も多く見られます。

映画そのものが、とくに 社会的、または哲学的な命題を強く背負っていた時期なんでしょうね。

しかしこういった、映画撮影の現場がスタジをの外へと変化していった転換期において、 ベルイマン監督のカメラは、逆に 純化、形式化された室内へと向かいます。

そしてこの頃撮影されたのが、『冬の光 』です。

冬の光 』について

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世界の外へと向かう映画の認識をよそに、 ベルイマンの映画は ただ黙々と、自己の精神の深淵にだけ フォーカスしていっているような印象を受けます。

観る者の視線は、簡素化された室内の中、 否応なく俳優の「顔」に向けられます。

ベルイマン監督は、映画の中で俳優の「顔」を撮影することについて 下記のように語っています。

「人間の顔(…)は、映画芸術において最も重要なものだ。 眼、無数の微細な筋肉の動き、肌、鼻を見ることができるのだから」

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執拗な顔面のアップが、観る者の印象を支配します。 物語の進行が、セリフではなく、その顔の表情によって主に行われているような気がします。

そしてこの物語のテーマについてですが、 残念ながら右側は不勉強なので、 神学的なことがよくわかりません…。

が、よくわからないなりに、気になったことを以下に述べます。

神の存在と、自己の人生が密接に絡み合っていますが、 時折出てくる「光」が、ストーリーにおいてどんな意味を持っているのかなと、注意して見てみました。

最初の方のこのシーン

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神父は物音を聞いて、教会の控室から出てきますが、 それが一体何の音だったのか、明らかにはなりませんでした。

画面は暗く、ドクロと神父の顔だけが克明に映しだされています。

そして、中間辺りのこのシーン。

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神父の背後がみるみる光りに包まれていきます。 このシーンで一体何が彼に降り注いだのか、 右側にはまだわかりません。

その他にも、教会の管理人が 聖書の解釈について語るシーンでも、 スタンドの光が二人を照らしています。

キリストが弟子に裏切られた絶望、

これはこの神父にとって一体何を意味するのでしょうか。

宗教の不在、人生において意味を成さないもの という皮肉にも、一見受け取られるような気がします。

しかしおそらく我々はこの映画を見て、 「神の不在」について考えるべきではありません。 光の証明のために、存在するであろう神の沈黙について 意味を見出すことに務めること。 それこそが映画の中の救いのない人々の 生きる意味になるのではないかなと思います。

神父の亡き妻が、生前浮気をしていたと オルガン弾きの男がささやきます。

それが嘘であろうとなかろうと、 生きているものは何かを真として生きていかねばならない。 そうした決意のようなものを 右側はこの映画から感じました。

ベルイマン監督の他の作品も 近いうちに記事にしたいと思います。

それではみなさま、良い映画生活を。

右側